量産品と工芸品

 降り積もった真っ白な雪の上に広がる朝の青空は気持ちがいい。きらきら光る眩しい雪にコントラストを与える地面の起伏の影は青空の色がそのまま映っている。


 極端な話をすれば、同じものを大量に作ることで単純化と分業して値段をとことん下げたものが量産品で、お金に糸目をつけず手間暇惜しまず作った世界でたった一つだけのものが工芸品だ。そこは住宅もなんら変わりはない。現実には量産品と工芸品のあいだのどこで妥協するかということだ。


 一条工務店のアイ・スマートは量産品だ。大量生産品と言っていい。朝のお役立ち情報を紹介する番組で視聴者のお宅が放映されることがある。その中で一条工務店のアイ・スマートをよく見かける。内装から一目でそれとわかる。歩いて行けるご近所にもアイ・スマートが数軒建っている。やはり皆見た目がいっしょだ。内装も外装も量産品だから、個性に乏しいのだ。認知症になったら、うっかり別のアイ・スマートのお宅に迷い込んでしまうかもしれない、と思うほど。


 住宅は量産できるけど、個々のライフスタイルまで全て同じに揃えるわけにいかない。マンション、建売、注文住宅のどれにするか。お財布の中身と相談して、どこまでこだわり、どこを諦めるかで選択肢が絞られる。


 それと土地と立地は、量産というわけにはいかない。通院や買い物、通勤通学の便、駅へのアクセスなど生活必需品的なところから、日当たりや風向き、あたりの景観、自然環境、ご近所の人となりのようなクオリティオブライフに関わるところまで、土地ごとに全部違う。


 雪の上に突き出した枯草が、細い影を落としている。そのまわりをハクセキレイが歩き回っている。尻尾を振っているのだが、足が雪にもぐりこんでいるので、その尻尾が雪にぶつかる。雪が積もっているのだから、尻尾を上げたままにすればいいのにと思うが、それではセキレイの沽券にかかわるのか、尻尾でぴたぴたと雪を叩きながら歩いている。突然騒がしくヒヨドリが飛んでくる。器用にあちこちの枝にとまるのだが、さすがに枯草では完全に体重オーバーだ。枯草はヒヨドリにつかまれて大きくたわみ、ヒヨドリは雪に墜落しそうになりながらも、態勢を立て直し、翼を雪にかすめて再び別な枝を目指して飛び立つ。


 キッチンの窓の外に繰り広げられる生き物たちのドラマは見ていて実に楽しい。今日はほんとうにいい青空だ。うきうきして外に出かけたくなる。何か素敵な出会いがあるかもしれない。湯飲みのお茶を飲み干したら、ちょっと散歩にでかけよう。