母の日と鯉のぼり

 たとたどしかった幼い子どもの発話が、遠くて懐かしい思い出。
 
 そんなころに母が送ってくれた鯉のぼりセット。そんなもの立てる場所ないよ、と母をじゃけんに扱う若い自分。おかまいなしに送ってきた母。


 しかたなく当時住んでいたアパートのベランダに無理やり飾った。


 ときは流れて、鯉のぼりの願いが叶い、子どもは健やかに育ち巣立っていった。新築した家に子どもはいない。


 鯉のぼりの支柱の突っ張り棒には、飾った回数分のネジをしめた傷。みすぼらしい。でも、捨てるのもしのびない。せっかく戸建てにして、建てる場所があるのだから、今年もカーポートに飾った。


 お母さんに手を引かれて通りかかった男の子。鯉のぼりを指さしながら、お母さんに何か話している。いいね!


 今度はお母さんといっしょに回覧版を届けにきた男の子。玄関のポーチからジャンプして、鯉のぼりのしっぽにタッチ!一発で触ることができて満面の笑顔。やったね!


 連休が終わって、また支柱に傷の増えた鯉のぼりをしまい込む。そんなもの立てるとこないよ、なんてじゃけんに言ってごめんね、とすっかり老いてしまった母のことを思う。


 子どもの日が終わると、母の日がやってくる。


 お母さん、ありがとう。

どうする破魔矢の置き場

 持ち家ともなれば、集合住宅の大家さんがやっていた町内のおつきあいも、自分が直接かかわることになる。


 引き受け手の減る町内の役員も、おつきあいで引き受けたりする。そうなれば町内の神社の元旦祭に参列し、作法はどうだったっけとかどきどきしながら、玉串を奉奠したりするのである。


 参列のお礼として、お神酒、お赤飯、破魔矢、お札などをいただく。生活必需品というわけではないが、神社からの賜りものを、ぞんざいに扱うのはいささか気が引ける。


 お神酒、お赤飯は、いずれありがたくお腹におさまるから、まだいいとして、問題は、破魔矢である。もとより、間取りを考えるときに、破魔矢の置き場など考えていなかったのである。たしかに、一条工務店との間取りの打合せのときに、神だなどうしますか?仏壇はどうしますか?などの問いかけはあった。しかし限られた予算にあって、よほど信心深いのでなければ、町内の神社から賜る破魔矢の置き場としての神だなまで思い至らないではなかろうか。


 破魔矢やお札は、いつもお参りできる目上に置くのが原則である。


 神だなのない我が家では、苦慮したあげく、ダイニングキッチンにある、あとから買ったビルトインでないキッチンボードの上に置くことにした。一条工務店のアイスマートのビルトインのキッチンボードは、天井までつながっているので、何かを飾ったりおいたりはできないのだ。


 まあ、こんなもんか、と飾ったら、、、


 びゅいん、びゅいん、びゅいん、、、緊急地震速報です、強い揺れに警戒してください!


 身構えるまもなく、ぐらんぐらんと揺れ始めた。震度4。瓶にいれて立てたばかりの破魔矢を瓶ごとむんずとつかんで胸に抱いた。しばらくすると揺れが収まった。幸いビルトインのキッチンボードの耐震ラッチが作動するほどではなかった。少々見てくれは悪いが、ふたたび、破魔矢を飾るのに、瓶に入れて立てたりせず、寝かしたままにしたのはいうまでもない。


 破魔矢。狩猟生活だった縄文時代、矢は貴重な生活道具だったに違いない。戦国時代になると、その矢が敵から身を守るための武器として使われるようになる。神社に詣でた折に、その家の男の子に破魔矢を賜るようになったのは、そのころだと言う。


 便利な道具は、武器としても使える二面性を持つ。できれば争いは避けたいものだ。


 男の子だけがもらって、女の子がもらえないのはずるーい、といって、神社が女の子には羽子板を配るようになったのは、江戸時代とのこと。江戸時代は庶民の時代。300年も平和な時を刻み、日本文化を醸成したのだから、江戸幕府はある意味大したものだ。


 地震は、天災で、できる手立てはたかが知れている。人事を尽くすと言ったところで、耐震等級3級のアイ・スマートを建てるぐらいが関の山である。


 新年のお祝いししているさなかの元旦を襲った令和6年能登半島地震。家屋の倒壊で犠牲者も出たという。ご冥福を祈るばかりである。被害が拡大しないことを願う次第だ。

初雪

 11月も末ともなれば、初雪だ。どんよりとした曇り空に、小雪が舞っている。


 「小雪」の「小」は、「舞う」にかかる日本語らしい形容動詞で、「雪が少し舞う」の意味だ。小雨が降る、小腹がすく、小首を傾げる(かしげる)、などの用例も、「雨が少し降る」「腹が少しすく」「首を少し傾げる」の意味だ。首が小さいのではない。


 でも「小顔」に関しては、文字通り「小さい顔」の意味で、美人の条件だそうだ。ネットによれば1997年ごろから使われ出した言葉のようだ。日本語も変化している。


 さて、小雪の季節。床暖房を入れ始める。家を建てる前は、24時間床暖房を入れた方が云々というのを信じていたのだが、それが恐らくオール電化の場合と気づいたのは、住み始めてからだった。ガス併用のエコワンでは、たとえ「控えめ運転モード」で「レベル1」でも24時間入れたら、暑くて汗ばんでしまう。


 それで天気予報を聞きながら、床暖房のタイマーをこまめに設定しなおすのが、この季節の日課となる。


 家を建てるとき大変お世話になった、百戦錬磨の一条工務店の営業さんも、ガス併用エコワンに知見は少なかったようだ。それでも、その営業さん、アイ・スマートのオーナーで、当然ユーザーでもあった。


 「冬にストレスなく起きられるのはいいですよ」


 と、その営業さんは言っていた。営業さんなのだから、セールストークなのだが、このセールストークに嘘はない。これは、この地域に住まうアイ・スマートのユーザーなら、みなそう思うことだろう。来宅される方々も、みな玄関ドアを入るたび「いつもながら暖かいですね」と言うから、アイ・スマートのユーザーでなくても、そう思うのだろう。


 自社の製品とか商品を、社員とかパートさんが実際に使っているものは、あまり間違いがないように思う。一条工務店の社員が、アイ・スマートに実際住んで営業するのだから、説得力がある。


 昔、大塚化学の工場見学に行ったとき、社員食堂に行ったら、ボンカレー、ポカリスエット、オロナインCとかの自社商品が並んでいた。ああ、いいものなんだな、と思う。


 逆に、銀行の静脈認証機能つきキャッシュカード。ユーザーが少ないからと廃止される傾向にある。でも、そもそも使っている銀行員が少ないのだ。それでは、普及しない。これだけセキュリティをと言っているのにである。人手不足の波は銀行員にも。仕事を覚える前にやめてしまう銀行員も多いと聞く。円安、物価上昇と、お金にかかわる話題が多い中、まちがいのない金融商品をセールスしてくれる銀行員も少なくなるような気がする。


 お金のために仕事をすることと、いい仕事をして相応のお金をもらうことは、似ているようで、全く違うことなんだよなあ、と独り言ちるこの頃なのだった。