どうする破魔矢の置き場

 持ち家ともなれば、集合住宅の大家さんがやっていた町内のおつきあいも、自分が直接かかわることになる。


 引き受け手の減る町内の役員も、おつきあいで引き受けたりする。そうなれば町内の神社の元旦祭に参列し、作法はどうだったっけとかどきどきしながら、玉串を奉奠したりするのである。


 参列のお礼として、お神酒、お赤飯、破魔矢、お札などをいただく。生活必需品というわけではないが、神社からの賜りものを、ぞんざいに扱うのはいささか気が引ける。


 お神酒、お赤飯は、いずれありがたくお腹におさまるから、まだいいとして、問題は、破魔矢である。もとより、間取りを考えるときに、破魔矢の置き場など考えていなかったのである。たしかに、一条工務店との間取りの打合せのときに、神だなどうしますか?仏壇はどうしますか?などの問いかけはあった。しかし限られた予算にあって、よほど信心深いのでなければ、町内の神社から賜る破魔矢の置き場としての神だなまで思い至らないではなかろうか。


 破魔矢やお札は、いつもお参りできる目上に置くのが原則である。


 神だなのない我が家では、苦慮したあげく、ダイニングキッチンにある、あとから買ったビルトインでないキッチンボードの上に置くことにした。一条工務店のアイスマートのビルトインのキッチンボードは、天井までつながっているので、何かを飾ったりおいたりはできないのだ。


 まあ、こんなもんか、と飾ったら、、、


 びゅいん、びゅいん、びゅいん、、、緊急地震速報です、強い揺れに警戒してください!


 身構えるまもなく、ぐらんぐらんと揺れ始めた。震度4。瓶にいれて立てたばかりの破魔矢を瓶ごとむんずとつかんで胸に抱いた。しばらくすると揺れが収まった。幸いビルトインのキッチンボードの耐震ラッチが作動するほどではなかった。少々見てくれは悪いが、ふたたび、破魔矢を飾るのに、瓶に入れて立てたりせず、寝かしたままにしたのはいうまでもない。


 破魔矢。狩猟生活だった縄文時代、矢は貴重な生活道具だったに違いない。戦国時代になると、その矢が敵から身を守るための武器として使われるようになる。神社に詣でた折に、その家の男の子に破魔矢を賜るようになったのは、そのころだと言う。


 便利な道具は、武器としても使える二面性を持つ。できれば争いは避けたいものだ。


 男の子だけがもらって、女の子がもらえないのはずるーい、といって、神社が女の子には羽子板を配るようになったのは、江戸時代とのこと。江戸時代は庶民の時代。300年も平和な時を刻み、日本文化を醸成したのだから、江戸幕府はある意味大したものだ。


 地震は、天災で、できる手立てはたかが知れている。人事を尽くすと言ったところで、耐震等級3級のアイ・スマートを建てるぐらいが関の山である。


 新年のお祝いししているさなかの元旦を襲った令和6年能登半島地震。家屋の倒壊で犠牲者も出たという。ご冥福を祈るばかりである。被害が拡大しないことを願う次第だ。