年賀状

 年賀状はいつまでとか、失礼のない基本マナーとか、そんなものは全部無視。同じ時を生きていながら、そばで過ごせない人に、忘れてないよ、気にかけているよ、と伝えるのに、何も窮屈な思いをすることはない。


 雪が降り続いいても、うっすらと日が差し込むと、ああ、これから少しずつ日が長くなるんだな、と自然に新春のお慶びを申し上げたくなるというものだ。


 宛名と差出人だけでは、味気ないので何かほっこりした絵でも添えようと、ちょっとした木版画を彫る。彫刻刀を走らせる時間はほんのわずかだが、何を彫るかを決めるまでいつも一年かかってしまう。


 もうすっかり雪に埋もれてしまった裏の畑だが、雪が降る前にと凍える寒さの中を早起きして大根とかぶを掘り上げて届けてくださったお隣のおじいさん。嬉しかったこと。美味しかったこと。友人知人みんなにその思いをお裾分けしてあげたくなる。ほんとなら、ひとりひとりにそれぞれ別の言葉で伝えたい。


 そうは言っても、歳月人を待たずというやつで、そのために買った色鉛筆もレターセットも使わないまま埃をかぶってどんどんたまり、あっというまに年末になってしまった。


 そんなわけで、リビングの窓辺で年賀状の絵に使う版木に大根とかぶを彫っている。新春のお慶びを申し上げますとハンコつくだけだから、受け取った方はなんで大根とかぶの絵が添えられているのか知る由もないだろう。それで一向に差し支えない。慌てず無理せずのんびりと彫っている。ラインですぐに連絡取れるのにと言われても、それとこれとは話が別だ。別に連絡を取らなくちゃいけないのではない。もともと用件などないのだから。その人に想いを馳せる時間が幸せなのだ。


 もしかしたら、寒中見舞いになってしまうかもしれない、もっと遅れて出しそびれるかもしれない。そしたら今度会ったときに言い訳して許してもらおう。もう会えるかどうかわからないけど、また会えるときが来ると信じて。