東京都が太陽光パネル義務化

 太陽がまぶしい季節。太陽光パネルの出力は約5kW。10kW未満申請の枠内で設置したが、最高でも8kW程度。余剰電力をFITで売電することになるので、たとえ太陽光パネルの出力は約5kWでも、電気の契約は100A契約となる。当然、基本料金も100A契約。節電しても、高い基本料金は負担しないといけない。それにここは雪国。一番光熱費がかかる冬場の発電は見込めない。


 そんな、たいしてお得でもないのに、初期コストもかかる太陽光パネルを設置したのは、脱炭素社会へ向けての良心と、ZEH義務化が予定されていたからだ。新築後、ZEH義務化はあえなく撤回。えええええ?ってかんじであった。





 そして、ここにきてまた、東京都の小池都知事が、太陽光パネル義務化を条例化しようとしているらしい。案の定、消費者もメーカーも「ダメ出し」だ。選挙制度によって当選するのだから、得票率を考えたら、ダメ出しを受けるような政策は、口にしない方がお得だ。そういう意味では、悪人をひきうける覚悟をもって良心にもとづく判断をしたのだと思う。あっぱれ、小池都知事。





 太陽光パネルも徐々に発電効率が落ちる。またパワーコンディショナのメンテナンス費用もかかる。どんなものだって老朽化するのだ。



 一条工務店の太陽光パネルは、屋根一体型。屋根に太陽光パネルを載せているのではなく、ソーラーパネル葺きの屋根なのだ。だから、固定資産扱いだし、若干固定資産税は増える。でも、そこに住まっている限り、屋根は必要だ。発電効率が落ちたら、ただの屋根に戻るだけのことだ。セラミックの太陽光パネルの屋根は、ガルバリウム鋼板の屋根より、耐久性が高いぐらいだ。


 目先の損得では、脱炭素社会は実現できない。なんとか余剰資金が見込める方で、その趣旨を理解できる方は、社会貢献という目線から、未来の子どもたちのために、太陽光パネルの是非に向き合っていただけたらと思う。

窓を開けたら♪―気密住宅での換気の限界-

 新緑の季節。風薫る五月。今日は初夏の陽気。室温は25℃。


 ちょっと暑いかな。


 窓を開ける。軒端の吊るした風鈴の心地よい音が耳に飛び込んでくる。すがすがしい空気が部屋中を通り抜ける。室温は、23度ぐらいまで一気に下がる。


 ほんとうにすがすがしいのだ。


 窓を開けているときの、二酸化炭素濃度はだいたい420ppm。これが、窓を閉めると、ものの1時間も立たないうちに600ppmを超える。一条工務店のアイスマートには、ロスガードという24時間換気システムがついていて、計画換気されている。少々気になるファンの風切り音が聞こえるから、故障しているわけではない。


 つまり、それが24時間換気システムの限界ってことだ。シックハウス症候群にならない程度の換気と、窓を開けたときの風通しでは、ぜんぜん違うのだ。


 都会だと埃が入るとか、あるいは花粉がどうとか、まあ、いろいろある。都会の喧騒を離れた、ここだって、真冬の猛吹雪のときに、せっかく断熱の効いたトリプルサッシの窓を開けるなんてことはしない。


 でも、和室の畳に寝そべり、ウッドデッキにおかれたバラの花や、その先の植栽を眺め、鳥の声をうっとりと聞きながら、ときおり通り過ぎる爽やかな五月の風を感じるのは、実に趣があっていい。古民家に住まっている気分になれる。


 気密断熱住宅に決めて、24時間換気システムに頼ることにしたものの、窓を開けたときの風通しを考えておいてよかった。

気密戸建ての音楽の楽しみ方♪

 今朝は抜けるような青空。明るい陽射しで目覚める。寝室のベッドの枕もとのタブレットを操作。音楽を流す。スマホからではない。ダイニングのスピーカーからジャズが流れる。パジャマのままダイニングへ。キッチンシンクの上のデザインガラスが朝日できらきらと輝いている。眩しい。庭で摘み取ったふきのとう味噌で朝ごはん。このあたりでは、ふきのとうをバッケと言い、刻んで味噌に合えたものをバッケみそと言う。春の味だ。


 ダイニングテーブルの上で、スマホを操作。家じゅうに音楽が流れる。気密性能がいい住宅は、音漏れも少ない。だから、あまりご近所に気兼ねすることもない。家族の誰かがジャズよりテレビがいいと言い出したら、そうするだけのことだ。


 3LDK。ダイニングキッチンでDKはいっしょの1部屋、リビングと和室は、仕切りのスリットスライダーを開けたままのことが多いのでおなじ1部屋。あとは寝室と、すっかりテレワーク部屋になってしまった洋室。3LDKなのだが、実質4部屋だ。4つのスピーカーセットを準備すれば、家じゅうに音楽を流すことができる。気密戸建て住宅ならではの、音楽の楽しみ方だ。実は、建てたあとにこの楽しみに気づいた。こんな楽しみ方があるなら、そのために、もう少し間取りやコンセントを工夫しておけばよかった。


 ダイニングの窓から植栽を見ながら、朝ごはんを食べ終える。ダイニングテーブルから食器をシンクにおいて、リビングに移動。掃き出し窓から植栽を眺め、和室のウッドデッキから、輝くばかりに咲いた黄色の水仙を眺める。大きなあくびをひとつして、寝室の寝具を片付ける。そして、洋室のパソコンの前へと移動する。そのあいだ音楽が途切れることはない。家じゅうにジャズが流れているのだ。ンズんっと響くベースのリズムが心地よい。イヤホンではないから、すれちがった家族とふつうに「おはよう!」を交わせる。音楽と生活がごく自然に一体化する。




 音楽でも絵でもそうだが、巧い演奏と良い演奏は違う。巧い演奏は褒められるが、よい演奏は愛される。がんばって褒められているのに満たされない思いをしている人と、ただそこにいるだけであたりを幸せにする人の違いと言えば、伝わるだろうか。


 良いものは、出しゃばらず、寄り添い、飽きがこない。邪魔にならない。


 住宅も、同じだと思う。



 あ、Last call。


 印象に残る曲というのは、出だしの最初の音の、そのまたいちばん先っちょの響く前のあたりで、それとわかるものだ。たとえば、寅さん映画の「男はつらいよ」のぴゃ~のぴの音が出るかでないかで、「男はつらいよ」とわかるように。


 一瞬、ふっとあらわれて、そしてまた、かき消えて、生活の背景に溶け込む。


 アルバムが終わって、家じゅうに静寂が戻ってくる。無機質でがさつなロスガードの換気音だけが残る。心の準備体操は、これで終わり。スマホを操作して家じゅうのスピーカーをオフにする。


 外に出かけるとしよう。