お盆と仏間

 今年は外出も帰省も自粛。お墓参りもなし。もっともこの酷暑の中で、真っ黒な服を着て、木陰もなく段差だらけの墓地に高齢者が集まっても、熱中症や転倒のリスクがあるから、しないならしないでむしろ安心かもしれない。


 昔は田舎に帰省すると、十三日の夜には迎え火が、十六日の夜には送り火が、道の両脇の家の前に焚かれていたものだ。戦後、さして遊びもなかった子供たちは、男の子も女の子も、その火の上を跳び越えて遊んだ。そして大人から、危ないからしてはだめだと叱られた。叱っていたその大人たちは、もうこの世にはおらず、叱られた子供たちも、年を取り、ずいぶんとあの世に旅立った。


 でこぼこ道をボンネットバスが走っていた時代から、舗装された道をマイカーが走る時代になると、アスファルトが溶けてしまうからと、迎え火や送り火は禁止になった。夜の道の両脇に提灯とともにずらりとならんだ迎え火の風景はなくなった。それからもう半世紀が過ぎ去った。


 ご先祖の霊をお迎えするという風習は、日本に限ったことではない。世界どこにでもある。日本に仏教が伝来すると、その教えを広めるためにお盆に便乗した。キリスト教を広めるのに、クリスマスを冬至に便乗したのと同じで、これまた世界中よくあることである。そして求道の妨げになると、出家させたり独身を通させたりする。そのへんから宗教ってそんなお堅いものとちゃうやろ?となって、在家OK、妻帯OKの宗派が出始める。日本で言うなら、浄土宗や浄土真宗だ。キリスト教で言うならプロテスタントがそれに相当する。


 在家で仏さま拝むなら、家に仏さまをおかないといかんやろ?いうことで家に仏壇をおく。そういうわけで、もともとの仏壇は浄土真宗由来だ。仏壇あるなら、神棚もいるやろ?神と仏はケンカするで。向きどうするん?そや?床の間はどうするん?とまあ、いつのまにか、宗派そっちのけで間取りで揉めたりする。ちなみに神棚は神道由来で、床の間は茶の湯と書院造由来だ。


 一条工務店のアイ・スマートには床の間も仏間も神棚もつけられる。障子と襖はつけられないのにである。家は性能とか言いながら、床の間や仏間や神棚の性能って何じゃい?って思うのだが、やはり家は性能ばかりではない。


 かと言って、古きゆかしき生活に逆戻りするほどの覚悟はないし、予算にも限りがある。


 結局のところ、すったもんだのあげく、和室に三尺の床の間をしつらえた。最初の図面では仏間と書いて、親族に見せ、そのあと知らぬふりして床の間に変更した。細かな造作を気にせず、床の間に台をおけば仏壇を見下すこともないので、床の間と仏間と兼用だ。しかも、ちゃっかりコンセントをつけた。無駄と感じたら、情け容赦なく冷蔵庫置き場にするつもりだった。


 でも、いざ、和室に床の間をしつらえてみれば、信楽焼きの花瓶に季節の花など飾ってみたりして、なんとなく気持ちが和むのである。お中元などをいただけば、つい床の間において、手を合わせてみたりするのである。


 このコロナ禍で誰も来ないお盆の入りの十三日には、カーポートに迎え火でも焚こうかなと思う。松でやぐらを組む本格的なやつでなくて、生活に追われて忙しくて灯すことのなかったウエディングキャンドルで代用してやろうかと思う。ご先祖様も笑ってくれるに違いない。


 そろそろペルセウス流星群が最盛期を迎える。夜空を見ながら静かに日本の夏を思い出すのも悪くない。