日本の風習

 ガーデンライトのタイマースイッチの点灯時刻を四時半から五時半に設定しなおす。冬至から幾日も経っていないのに日の暮れる時間が遅くなっていると感じられる。お正月になったらあれもしよう、これもしようと思っていたのがもう懐かしい。


 猫の額ほどの庭では、もういくつ寝たところで、凧あげもこま回しもできない。それでも思いがけず遠くから久しぶりに帰ってきた子どもとかるたを楽しむ。競技かるたなどという大げさなことではない。鏡餅が飾られた床の間を背にして座布団を敷き、畳の上に札を並べ、季節感を楽しむだけだ。


「ひさかたのひかりのどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」


 手に取った札の歌と和室の奥の方まで差し込む陽の光とが一瞬重なる。平安時代の言葉が千二百年の時を飛び越えて伝わってくる。でも桜が散るのはもう少し先の季節だなと思いなおす。


 光陰矢の如しとはよく言ったもので、この束の間のお正月の雰囲気は、あっというまに過去に過ぎ去り、夢幻のような遠い思い出となる。


 慌ただしくタクシーに乗り込む子どもを見送ると、断熱ドアに取り付ける場所がなくカーポートの横木に洗濯ばさみでぶらさげた注連縄が目に留まる。台所、便所、風呂場。昔は別の建屋だったその場所は、今はほとんどのお宅で母屋の中にある。というか母屋しかない。父に教わった建屋ごとに安全点検して確認終了の目印に輪通しをつけるという風習は、母屋しかないアイ・スマートではやりようがない。


「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」


 今日は初夢の日だ。この和歌を紙に書いて枕の下に敷いて寝ると、吉夢を見られると言う。随分前に亡くなった明治生まれの祖父から教わったこの風習を、ネットで調べてみると室町時代から続く日本の風習らしい。この風習なら、寝るところと枕があればやれるだろう。


 そして今日は書初めの日だ。新年になって初めて字や絵を書く風習だ。毛筆をパソコンに持ち替え、いままさに今年はじめてのブログである。そうは言っても年のはじめに書くことなんて、きっといつでも似たようなものだ。平安時代も、室町時代も、明治も大正も昭和も平成も令和も、そしてこれからも。月並みだけど、それがいい。


 明けましておめでとうございます。今年も良い年でありますように。