幼児の英語教育

 早くから子どもに英語を習わせないといけないだろうか。こんな不安は勇気をもって取り払った方がいいと思う。


 臨界期というのがある。おおむね10歳ぐらいだろうか。母語(ネイティブランゲージ)が確定する時期だ。母語は「獲得する」と言い、外国語は「学習する」と言う。そもそも母語と外国語は身につく仕組みが違うのだ。母語は音声言語の範疇にとどまらない。たとえば生まれつき聴覚障害を持つ子どもが臨界期の前に適切な環境に恵まれると手話を母語とするネイティブ・サイナーとなる。適切な環境とはその言語で会話する大人の中にいることだ。英語を母語にした父親と日本語を母語にした母親の両親のもとで臨界期を迎えた子どもはバイリンガルになる。その場合、子どもにとって英語と日本語の区別は全くない。また祖父がフランス語を母語とした場合、子どもはトリリンガルになる。同じように子どもにとって英語と日本語とフランス語に区別はない。こどもは英語でも日本語でもフランス語でもないひとつの合成言語を母語としている。このように子どもの母語に変化した合成言語をクレオール言語と呼ぶ。


 要は、子どもは、複数の大人たちが交わす会話の中でひとつの母語を獲得するのだ。豊かな会話を交わす大人たちの中にいれば、子どもは豊かな母語を獲得する。母語の獲得が単なる音韻言語にとどまらずコミュニケーション全体に及ぶのは、ネイティブ・サイナーの存在が実証している。イントネーション、アクセント、表情、仕草、アイコンタクトに至るまで、コミュニケーションの細やかなところまで大人たちから獲得するのだ。


 小学校の英語教育とか、何かと不安を煽ってくる世の中だ。「子どもが将来学校英語でついていけなくなったらどうしよう」と不安を感じることもあるだろう。それでも自分の不安の解消のために子どもの豊かな感性を犠牲にしたとあとでわかったら、後悔しやしないだろうか。語学の学習もいいが、母語の獲得の段階では、心が通いあうということの方がはるかに大切だ。そうでなくともなかなか子供といっしょに過ごす時間が取れない時代だ。自信のない自分のよそゆきの英語を隠してどこかに丸投げするよりも、家族や地域で方言丸出しのあけっぴろげの会話をするひとかけらの勇気を後押ししてあげたい。