町割りと除雪

 暦の上では、立春。とはいえ、また大雪が見込まれている。ついこないだ、雪に強いはずの新幹線は、立ち往生したばかりだというのに。地球温暖化で、北方の海水温が上がり、低気圧が発達して、大陸の寒気を吸い込む。その寒気で、これまた海水温が上がって湿った空気を冷やすものだから、雪が増えるのだ。


 鉄道はレール二本だが、自動車となると、それなりの幅が平らでないと走れない。雪が降ると、除雪排雪の作業車が、町中を走り回る。この地域では、7億円計上していた除雪対策の事業費を、5億円上乗せして、12億円にした。もちろん、税金だ。それでも、生活道路までは、税金だけでは、まかなえない。排雪をしようとすれば、地域住民もさらに負担することになる。


 除雪と排雪は違う。除雪は、道路の雪を、はじっこによけるだけだ。ぎゅうぎゅう押し付けると、隣接した住宅の入り口には、雪の壁ができて出入りできなくなってしまう。排雪は、雪を雪捨て場まで、運搬する。春になれば解けるといっても、春まで待っては、いろいろと生活にさしさわりが出るから、わざわざ雪をダンプで運ぶのだ。


 排雪するか?するとすれば、いつするか?地域住民からの追加の負担金の集金は、どうするか?自治会とか町内会とかが、地域住民の意向をとりまとめて行政と協力しなければならない。


 もともと自治会とか町内会とかは、戦争中の配給制度にまでさかのぼる。行政が一戸一戸に配給するわけにいかないので、コメ、味噌、はては酒粕に至るまで、自治会の隣組と協力して配給した。酒粕の目方を秤で測って、配るのは大変だったと、当時を知る人が言っていた。


 さて町割りというのがある。ここいらでも江戸時代から続く旧町名というのがあって、通りに面してひとつの町があった。ところが、昭和の高度成長期に、行政が区画整理法というのを作った。通りに囲まれたのがひとつの町になり、通りの向かいは別の町内会や隣組になった。それでも、除排雪の対象となる道路は同じなので、町内会や隣組をまたいで地域住民同士が話し合わないといけない。自然が相手だから、なんでもかんでも計画通りにいくわけではないが、意向がまとまらなければ、何もできない。普段からのコミュニケーションが大切だなあ、と思う。


 それにしても、車がなかったら、雪の上を、歩くだけである。動物で車輪のような回転運動を使って移動する生き物はいない。足で歩くのである。つまり、地球は、もともと凸凹なのだ。足を使った歩行は、凹凸だってなんのその。雪の上でも歩けちゃうのだ。脱炭素社会が実現して、車が減れば、除排雪作業も少なくなるだろうか。そんなことを考えながら、窓の外の猛吹雪を眺めた。


 余寒お見舞い申し上げます。